
子どものデスクのそばを通りかかったときのことです。AIがエッセイを書き、数学の問題が連鎖的に解けていく。一瞬未来を感じる光景ですね。でも後で食器を洗いながら、ふと目が合うあの瞬間。無言の問いかけが浮かびます……
「この便利さと引き換えに、かけがえのない何かを失っていないだろうか?」
近道が基礎固めの機会を奪うとき
『とりあえず終わらせられれば』そう言いながら、AIが生成した歴史の分析を子どもがコピーするのを見ていた夜がありました。昔は宿題をめぐって何時間もバトルしたものです。最新の研究が示す通り、テクノロジーに複雑な思考を任せると、学びの深さは朝露のように消えてしまう。ある調査では、AIを使った分析課題で後続テストの成績が40%も低下した例が。コーヒーを飲みながら『毎晩出前ばかり食べてたら、料理の仕方を忘れちゃうよね』というあの喩え、まさにそうだね。
自転車の乗り方を教えたときのことを思い出します。転ぶとわかっていても、そばで走って支えたあの時間。小学4年生の算数とAIツールの間に、私たちは子どものつまずきに過剰なクッションを敷き始めたのかもしれません。『思考の筋肉が緩んでいくみたい』――そう呟きながら宿題アプリを見つめる姿が印象的でした。
答えから対話への転換
先週の木曜夜、素敵な光景がありました。AIが整えた読書レポートを見せに来た子どもに「どの部分に反論したい?」と尋ねたのです。キッチンが突然ディベートクラブに。「パパ、これ正解なの?」という抗議に「昨日のアルゴリズムより賢い?」と笑い返す。メモには対話の種をまく質問が並んでいました。「これの偏りはどこにある?」 「おばあちゃんの時代ならどう見る?」
最近はChatGPTを個性的な食卓のゲストのように扱っています。先週の日曜日はパンケーキを食べながら、AIに政治問題について質問し、その回答を一緒に解剖しました。「経済成長が常に万人に利益をもたらすと決めつけてるね」――そう指摘するときに手にしたメープルシロップのスプーンが葛藤と希望の象徴に見えました。
目に見えないガードレール作り
今週から『アナログ時間』を導入しました。宿題開始の60分間は画面禁止。ダイニングテーブルで子どもと並んで、自分もペンと紙で計算問題を解く姿。『見せることで伝える』という合言葉が生まれました。引用形式はAI任せでも、主張の骨子は手書き――このバランスがしっくりきています。
半年前なら『制限』と捉えていたでしょう。今は『足場』と呼んでいます。スケッチブックに紫色のクエスチョンマークでいっぱいにしたあの日のように。テクノロジーは研究アシスタント、そして子どもこそが建築家であるべきだと気づいた瞬間でした。スクリーンの向こうに未来を感じながら、今この瞬間に必要な手触りを探す毎日です。
デジタルとアナログの調和を求めて
『なんでAI使っちゃいけないの?』と聞かれた朝のこと。あなたはそっとノートを開いてこう言いました。『料理人が包丁を研ぐように、脳もときどき手入れが必要なのよ』。便利なテクノロジーと向き合いながら、思考の刃を研ぎ続ける方法――私たち親子の小さな実験が続いています。
昨日、子どもがAIに質問する前に『まず自分の仮説をノートに書いてみよう』と提案していました。そのときの目の輝きは、デジタルの海を航海するための羅針盤を見つけた船長のよう。テクノロジーが教育の風景を変えていく中で、変わらずにいたいものを守りながら、進化し続ける家族の形を模索しています。
Source: AI app rolls out in SA schools as tech experts warn against ‘dumbing down’, ABC News, 2025-09-15
