
intro
夜のリビングでコーヒーをすすりながら、隣に積まれた子供のノートを見てふと考え込んでしまった。
最近の作文指導、AIを使えば作文が当たり前のようにできる時代で、私たち親はどう向き合えばいいのかな。
ボタン一つで完璧な文章が生成される時代に、私たち親はどう向き合えばいいのだろう。
先週の宿題、真っ白な原稿用紙とにらめっこしてる子どもがじっとしてる姿が今でも頭から離れないんだ
『何を書けばいいか分からない』というつぶやき。
便利なツールがあるなら使ってみたいけれど、その先に子供の成長はあるのだろうか。
そんな葛藤を、今夜は一緒に考えてみたい。
便利さの裏にある親としての不安
AIが生成する文章は確かに魅力的だ。構成もしっかりしているし、言葉遣いも大人びている。
忙しい日常で宿題を手早く終わらせるにはぴったりのツールに見える。
でもふと心に浮かぶ疑問がある。これで子供は本当に「書くこと」を学べるのだろうか?
鉛筆を握る手の感触、言葉に詰まりながら考える時間そのものが、思考力を育てるプロセスなのではないか。
まるで登山の道程をヘリコプターで飛ばしてしまうようなものかもしれない。
テクノロジーの可能性を受け入れつつ、私たち親が境界線を引くことの大切さを感じている。
AIを先生ではなく『考えの種まき係』に
先日、子供が作文のテーマに悩んでいた時の話。
「クラウドにどんな質問を投げかけたらいいと思う?」と尋ねてみた。すると意外な展開が。
「動物園のライオンに手紙を書く」なんて発想が出てきて、子供の目がパッと輝いた。
AIの本当の価値は答えを与えることではなく、想像の扉をノックすることにあるのかもしれない。
大人の固定概念を超えた自由な発想が、機械を通じて得られる面白さ。
大切なのはAIの考えを鵜呑みにせず、『このアイデア、どう思った?』『本当はこう書きたかった?』って子どもとじっくり話し合うことが大事なんだよ。
プロンプトこそが最高の教材
AIに「夏休みの思い出を書いて」と頼むのと、「小学3年生が家族で海水浴に行った時の心臓がドキドキした瞬間を200字で」と頼むのでは全く違う結果になる。
「どう質問するか」を考える作業が、実は文章構成の重要なトレーニングになる。
テーマを具体化し、視点を明確にする過程で、子供は自然と自分の体験を言語化する力を養っている。
一緒にプロンプトを考える時間が、結果として文章力そのものを育てることにつながる。
まさに鉄は熱いうちに打て、だ。
親である私たちが質問の質を高める手本を見せるのが何よりの教育かもしれない。
ラストダンスは必ず人間と
わが家で決めたルールがある。
AIは「下書き完成後に会う相談役」であること。
自分なりの表現で書き上げた後に初めて、「もっと良い言い換えはないか」「誤字がないか」チェックしてもらう。
これを明確に区別したことで、子供は「AIが書く」のではなく「AIに手直ししてもらう」という意識を持つようになった。
大切なのは「自分で考えた」という達成感。
現代版の推敲プロセスとして、編集技術を学ぶ上でAIは心強い助っ人になる。
創作の苦しみと完成の喜び、その両方を子ども自身が味わえる環境づくりが親の役目だと感じている。
デジタルの海でこそ光るアナログの真珠
つい先日、子供が書いた「運動会で転んだ時の話」を読んで驚いた。
AIなら使わないようなくだけた表現が次々と出てきて、その素朴さが胸にジンと響いた
「パパが駆け寄ってくる足音」や「砂の匂い」といった具体的な描写が、誰に教わったわけでもなく自然に紡ぎ出されていた。
唯一無二の体験が生み出す文章の力は、人工知能では再現できない。
子供たちの原体験が育む表現力こそが、どんなAIツールよりも価値がある。
その瞳に映る世界を、これからも信じて見守りたい。
参考:The Register「Why do most users ask for help writing prose, not code?」(2025年9月16日)
