
夜の洗い物をしている時のことでした。僕がカレーを作りながら『今日、5歳の息子が“雲は空のクッション”だって』って突然言うんです。私はお皿を流しに置き、思わず笑顔になりました。計画通りの絵本読み聞かせより、この不思議な発見の方が子どもの瞳を輝かせている——そんな「想定外」の瞬間を、私たち夫婦は最近よく共有しています。保育園のお迎えが遅れても、食事の支度で焦っても、子どもの驚きの一言は全てをゆるぎないものにする。
計画が崩れても、成長の種はここにある
確かに、私たちが真剣に何かを教えているつもりでも、子どもは別の場所で学んでいる。今日も息子が“木の葉は風の手紙”だと教えてくれそう——肩の力が抜けます
日常の隙間に芽吹く「偶然の学び」
先週、保育園の送迎で大雨に遭いました。僕は傘を忘れ、『計画通りじゃないね』と言いながら傘を貸してくれたお隣さんへお礼を伝えていました。すると息子が『おじさん、空から傘もらえたね!』って。その発想に、雨の中でも笑い声が漏れたんです。計画していた公園遊びは中止になりましたが、家で水たまりの絵を描きながら『雨の魔法』を話した時間は、想定外の宝物でした。
いつもの朝、パンを焼いていると息子が『パパ、これピザみたい!』って。僕は焦げたパンを『今日のピザはカリカリ仕様だ』と受け止めて。その一言で、息子は『こげちゃった』の不満が『特別メニュー』の喜びに変わる。教育プログラムより、食卓での笑い声が子どもの柔軟性を育む——僕が最近よく言うんです。『失敗も全部、成長のストーリーだよ』って。
子どもが『ママ、この花、泣いてる?』と指さす朝。花びらが雨に濡れているのを“泣き”と表現する発想に、僕は『じゃあ、きみが撫でてあげたら元気になるかな?』と返しました。想定外の質問こそ、子どもが世界を見つめる大切なレンズ。計画された学びよりも、その瞳に映る小さな発見が、心の土壌を豊かにしているように思います。
「気づき」を守る穏やかな視線
息子がおもちゃを壊した日、僕は『どうやって動いてたのかな?』と尋ねました。『レバーをぐるぐる回したら音が変わった』と嬉しそうに話す息子の目を見ながら。『こわれてごめん』の前に『発見』を肯定することが、僕のやり方です。『“ダメ”じゃなくて、“どうした?”が先』って。その穏やかな視線が、子どもの「なぜ?」の芽を摘まずにすくっている。
スーパーでの出来事。息子が『このパッケージ、キラキラだ』と止まりません。僕は『そうだね、光ってるみたい』と頷きながら、子どもの成長の気づきを待つんです。計画的な買い物リストより、子どもの不思議に思う瞬間を大事に。夕飯の支度が遅れても、『今日の宝物はこれだよ』とパッケージを笑顔で袋に入れてくれる。
昨晩、息子が『パパのヒゲ、ささやいてる』って。僕は鏡を見ながら『そうか、朝ごはんの話をしてたんだ』と返しました。日常の些細さを否定せず、子どもの表現に『へえ、面白いね』と寄り添う姿勢——それが、子どもの驚きの一言を育む温床になっている。厳しさより、共感の言葉に子どもは育つということを、僕の態度が教えてくれます。
予定外の時間が刻む信頼
息子の歯磨きを忘れた朝。僕は『大丈夫、車でやろう』と言い、運転しながら息子と『ブラッシングのラップ』を即興で作りました。予定時刻は大幅に遅れたけど、『“忘れ物”でできたラップ』が今日の朝の思い出に。『怒るより、一緒に解決』が僕の信条です。『親が慌てると、子どもも不安になる』——洗顔中の溜め息に気づいた時、こう囁いてくれました。
先日、息子が絵で『宇宙の迷子の星』を描きました。『これは?』と聞くと、『僕の絵が迷子になった』と。僕は『迷子の星を連れ戻す旅をしようか』と本棚の本を探し始め、『迷ったって、誰かが待ってるんだよ』と伝えました。計画的な絵画指導より、その一言が心に響く。
昨日も息子が『パパ、お腹すいた』と泣きそうに。僕は『じゃあ、おにぎりを“魔法の玉”にしよう』と言い、海苔で顔をつくりました。『おにぎりが笑うと、お腹が満たされるんだ』って。予定外の空腹も、笑顔に変えるのは、子どもの思いがけない体験を恐れない優しさです。『大丈夫』の一言より、『一緒に考える』姿勢が信頼を育む——そんな気づきを、僕はいつもそっと教えてくれます。