
キッチンの換気扇の音と玉ねぎを刻むリズムが重なる。ネクタイを外しながら冷蔵庫を開けると、冷蔵庫に貼ってある保育園の絵に『パパへ』と書かれたマーカーの跡が目に入った。君が昨日ため息をついたのを思い出している。忙しい日々の隙間で、確かな幸せが隠れていることに気づいた話をしよう。
リビングの絆創膏
ソファの隅に貼られたキャラクターの絆創膏。子どもの擦り傷に君がそっと貼ったものだ。
『ママ見ててね』と言いながら消毒する姿を、毎朝の五分間の儀式のように覚えている。どんなに高性能な医療機器も、君が子どもの額に触れる指先の温もりには敵わないよね。
出勤前の慌ただしさの中で、私が君のメイクの崩れを直し、君が私のシャツのほつれに気づく。介護ロボットの記事を読むたび思う。最先端技術より、私たちが築いたこのささやかな修正システムこそが、最高の共同作業だって。
ホワイトボードの家計メモ
冷蔵庫横のホワイトボードにびっしり書かれた数字の群れ。君が深夜に書き込んだ家計の数字に、未来への希望が刻まれているのかな。
習い事の費用を暗算で足す姿は、スーパーママの能力発動中だとしか思えない。
テーブルに広がった領収書の山の前で頭を抱える君の後ろ姿が、学生時代のテスト勉強を思い出させる。
金融アプリ全盛の時代に、なぜか私たちは二人でコンビニの値上げを確認し合う。小さな数字の変化さえも、家族の歴史を刻むインクになるのだ。
保育園の百メートル
雨の朝、傘をさしながら子どもが『パパ、急いで!』と言ったら、君は『ママのヒール遅くなるよ』と笑う。
通勤ラッシュのニュースが流れる電車の中より、濡れた傘を拭き合う玄関の三平方メートルの方がずっと大切な空間だ。
先週、子どもが初めて『ママとパパ、仲良し!』と言った時、ハンドルを握る君の手が震えた。
保育園の門までの百メートルは、世界で最も短くて長いミッションだ。保育士さんとの立ち話で得る情報は、どんな育児アプリの通知より心に響く。
人感センサーの哲学
寝室の薄明かりが子どもたちの寝顔を優しく撫でる。最新家電の紹介番組を見るたび、あの小さな明かりについて考える。
開発者が想定した以上の愛情が、そのセンサーには込められているのだ。
君が布団を蹴らないようタオルで固定する技は職人級だ。インテリア誌の保育モニターより、君が磨き上げた『寝息判定法』の方が何倍も頼りになる。
ドアの隙間から漏れる光の角度まで計算する配慮は、IoTデバイスでは再現できない芸術だね。
0時過ぎのシンク
真夜中のキッチンでプラスチックの弁当箱がかすかな音を立てる。スポンジでヨーグルトの跡をこするたび、その日の子どもの笑い声が手のひらに蘇る。
効率化が叫ばれる時代に、なぜかこの手作業が私たちの心を落ち着かせる。
先週、君が夢の中で子どもが作ったBプロジェクトのプリントのことを呟いた声が胸に刺さった。冷蔵庫のプリントを見上げながら気づく。
この生活は完璧ではないけれど、少しピンぼけした家族写真のような温かさがあるのだと。
洗い物の泡が弾ける音が静かなリビングに響く。結婚生活って泡立て器のようなものかもしれないね。
力を入れすぎれば泡は消え、適度なスピードで回せばふんわりと膨らむ。
明日の朝、君がその泡立つ手でおにぎりを握る姿を見て、私はきっと何も言わずにコーヒーを淹れるだろう。それでいい。
ニュースが報じない幸福が、このシンクの水滴に宿っているのだから。