
子どもの寝かしつけを終えた昨夜、キッチンで立ち止まった。ふと君が加湿器をそっと補充する姿を見て気づいたんだ。研究では『夫婦の気持ちが通じ合っている』なんて言っているけど、私が毎日目にしているのは、君が玄関で靴を揃えるタイミング、朝食準備中に無意識に時計を確認する仕草、子どもが起きる前に炊飯器の音を消す手際の良さ。それらが全部、私たちの暗黙のリズムになっているんだね。
研究では測れないリズム

朝、君が野菜を刻む手と、私が子どもの靴紐を直す手が、偶然同じリズムを刻んでることに気づくことがある。
私が身をかがめた瞬間に君が自然に包丁を奥へ引っ込めた。『ごみ出した?』と聞かずとも分かっているタイミング。
キッチンという小さな舞台で、私たちは相手の視線の先読みや体のわずかな傾きで、言葉を超えるやりとりをしている。
子どもの急な工作課題が舞い込んだ朝、君がリビングをアート工房に変える間に私がギリギリでPDFをアップロードする。そんな時、君はちゃんとコーヒーを多めに入れてくれる。
それは効率ではなく、呼吸の共有なんだ。そんな私たちのリズムが、研究では測れないって不思議だよね。
言葉にしない約束

『今日は新しい薬を処方された』って子どものことを言いかけると、君はもうレシピアプリを開いて成分を検索している。
『研究では“機能的共感”と呼ぶ』らしいけど、私の目に映るのは、君が夕食後に残ったご飯を“保温”モードにしてくれる配慮の積み重ね。
スクールバスが突然5分早く来たとき、私たちは無言で役割を分担する。私が下の子を連れて、君がランチボックスを持っていく。
まるで数十年のコンビのような連携プレーが、いつの間にか出来上がる。『これから何が必要?』じゃなく、お互いの肘の動きや指の位置でわかってくるんだ。
それはもう、私たちだけの暗号だ。
練習を積んだわけではないダンス

バランスのとり方を練習したわけじゃないのに、君が疲れてる時は私が荷物を持ち、遠回りしたい時は君が夕飯の時間をずらしてくれる。
君の顔色が暗い日(仕事のストレスを抱えている時)は、私が優しくお茶を淹れるだけの反応(『お茶を淹れる?』と聞くだけのやさしさ)で返す。
そんな小さなやりとりが、いつの日か私たちのダンスを形作る。研究の論文では“パートナーシップの調和”と書かれているけど、私にとってはただの、君の呼吸のタイミング。
そして、子どもの寝静まった夜のキッチンで、君と私は並んで今日の残り物を片付ける。その言葉のない静かな時間が、一番の会話を感じさせてくれる。
そんな、私たちのリズム。ただの静かさ。ただの、美しい。共有する私たちのリズム。
