
子供たちが髪を揺らしながら風のように帰ってきた時、君はいつものようにキッチンに立っていた。その背中に聞こえたのは「ただいま」より先の無言の問い合わせ──「あの子、今日はどんな夢を見つけてきたんだろう?」。そんな小さな奇跡をそっと綴る日記について。
キムチ6種類が教えてくれること

「パパ、ママはなんでいつもキムチを6種類も食卓に出してたの?」。その質問は5年前の冬の夜に、息子が口にした謎でした。
その頃、私は日々の忙しさで、そのパターンに気づきもしませんでした。今ならわかるのです。母が作った小さな色のキャンバスは、子供の選択の自由を育むための絵具だった。
この1年、毎日同じ料理を要求する娘に、私は鉛筆の芯を削るように、ママの知恵を思い出しているのです。
消えゆく声を保管する

「パパのチャーハン、世界一!」は3月11日、午後3時。お皿的的に宣言された。私たちは、このような瞬間を、どうやって保存するのでしょう。
廊下の壁に貼った絵の具のタッチ。学校の朝の「パパ、またね」が消える瞬間に、私たちはなぜか、深く頷く。
その声を、これから、どんな箱に収めればいいのかな。今、私たちは散らばったビー玉を集めるように、一日の終わりのささやきを拾っている。
飛行機の音が聞こえる公園で、娘が拾った石ころは、洗って、涙型の紙に包んで保存しました。もしかしたら、これが子供の記憶を収める器なのかもしれません。
20年前のパパの日記

「パパになるって、こういうことじゃない気がしてた」。そう若い私が書いた日記が、今では笑い草の種です。
今では、この仕事が、子供たちの時間の神様を守るための祈りだと気づいた。この感情は、新しくて旧い。
私たちは、子供たちの消えていく線路を、一歩一歩、踏み固めている。私たちが記録するのは、誰も知らない、明日の朝食の予定表。
そして、その夜、子供たちが寝静まった後、私たちは、そっと今日の記憶を、次のボックスに詰めて、そして、また、明日の朝を待つのです。
私たちは永遠の記憶職人

ある日、子供たちが大人になる時、私たちはどんな形で残っているのか。彼らが、どこかのだれかと一緒に笑う時、その歯の隙間の色が、もう少し、ママの作った野菜の味を思い出しているかもしれない。
そのような事を、今、私たちは、この毎日の日課で、書いています。私たちは、このような方法で、消えゆくものを、永遠の箱に収納していく。
太陽が照っている間の、私たちの影の時間のように。そして、そのような働き一つ一つを練りながら、私たちは愛を、ゆっくりと、愛している。
