
子育ての喧騒が静まる夜のリビングで、スマホの写真をスライドショーで流していますね。そんな時、ふと思うのです。手のひらサイズのデバイスに溢れる写真の数々が、いつか家族の心のアルバムになると、本当に信じていられるのか?
シャッターボタンで切り取れないもの

公園で子どもが自転車の練習をしている時、カメラのレンズは懸命にペダルを漕ぐ指先を追いかけます。ミラーレスの高速連写は、一瞬の表情を逃さず記録するでしょう。技術の進化は、確かに子どもの成長を記録するための心強い道具です。でも、データが消えてしまうみたいに、心のぬくもりまでなくなってしまうのかな?
カメラは、あるがままの光を描く。でも、家族の記憶は、光の描写が間違っていたとしても、心の温もりを選ぶ。そんなことを考えた、先週の夕暮れ時でした。妹が転んで見逃せた擦り傷を、スマホのアルバムが「重要でない」と判断するかもしれません。この記録法で、家族の本当の物語を伝えられるのか? そんな疑問が、家族で写真を並べる日の夜に、ふと浮かんできます。
デジタルアルバムに込める親子のルール

毎週日曜日10時、わが家の定番です。テーブルに散らばったスマホの写真を子どもたちが選ぶ時、必ずつくるルールがあります。それは「技術の話をしないこと」。子どもたちが、反射神経の速いカメラの性能をあれこれ言う年齢ではなかった? でも、口を揃えて言うんです。「この写真、お父さんが撮ってくれたおかげで、あの日の声が思い出せるの」
大切なのは、写真の奥行きを測るレンズの性能ではなく、子どもが指で触れた写真の“温度”の話です。この子が、赤い帽子をかぶって公園で笑った顔は、その日、何度目の失敗を乗り越えてできた笑顔なのか? その記憶は、写真の中にはないんですよ。家族のなかで笑い合うたびに、家族の笑い声の中で、物語が深まっていく。
子どもたちが、スマホを開く時、親指の動きが祖母のアルバムを開く動きと同じだという発見は、家族の記憶の原点を教えてくれます。世代を超えて、変わらない何かがあるんですね。
2030年も変わらない記憶の約束

クラウドのアルゴリズムが、どんなに進化を続けても、家族の記憶は、複雑で正確な分析よりも、戸惑いの中にもある温もりを求めています。AIが、子どもの1年間の成長を記録したとしても、そのアルバムの扉を開くのは、家族の「今日のこと、どうして覚えたかった?」という問いかもしれません。
この思い出の保存方法は、2030年になっても変わらないという約束です。技術は、未来へと伝達するための便利な道具ではあります。でも、家族の記憶の心臓は、道具の進化に左右されないもの。だから子どもたちが、自転車の練習の写真を開いて、お父さんのカメラの重さを笑いながらも、その重さを家族の記憶の重さとして選んだのだと思います。
最後にふと思ったこと。それはカメラのバッテリー切れで、家族の写真を逃した日のこと。カメラが切れてしまって写真が撮れなかった日、娘が「今日のことを写真に残せなかったから、パパとママはどこにいるの?」と尋ねた一言が、機械の記憶を超える、家族の絆の核を感じさせてくれます。
この記憶の技術の進化が、どんな道を歩んでも、家族の記憶のストーリーは、人の心の温もりに支えられて、輝き続けるでしょう。写真を撮る技術は、家族の記憶を守るための支える道具として、未来へと続いていく。
