
今朝、娘と一緒に準備していたら突然気づいたんです。AIってまるで新しいスタッフみたいなものじゃないかと。考えてみれば、週に何度か教会で話し合う会議の準備やニュースレター作成、寄付者のフォローアップなど、AIはこれらのサポートに大活躍みたいですね。
AIは新しいスタッフのようなもの?
知人の教会でも最近AIを使ってメッセージを分析し、次のような説教のポイントを調べ始めたと聞きました。データ分析で数字は見えてくるけど、一番大切な人の痛みや喜びにはAIでは届かない。私はデータ分析の仕事をしていてよくわかります。
この際、現場のpastorsたちに質問してみたい。AIってどこまで預けていいんでしょうか?
AIだけでは無理なこともある?
AIは便利だけど、人間の温かさや共感は代替できないものです。例えば、娘が初めて自転車から落ちたとき、隣にいて本当に寄り添ってあげたかった。実際には立ち上がる瞬間を遠くで見守っていたけれど。これをAIのように遠くからだけ見ていてはダメなんですね。
牧師としての経験をベースに質問だけど、会衆が抱える心の痛みを聞いて共感し、その評価を柔軟に対応してあげる。AIではどうしてもできない部分ってあるんじゃないでしょうか。
信仰の指導って、心で感じるものだと思いませんか?
技術の進展については止められません。技術は進んでいくものだから、使い方を理解して適切に使い分けたいですよね。これは娘のSNSリテラシー教育とすごく重なって見えます。
特に危険なAI使用例は想像できますか?
当然ながらAIの利点も多いですし、これらの限界を理解することも重要です。最近、AIは深い内容じゃなくてもSNSや広告の文面まで作ってしまいますよね。でもAIだけに任せていたら、親御さんたちの言葉に込もる真心が置き去りになりませんか?
説教用にAIが作った内容で十分でしょうか?一人一人の霊的探求って、やっぱり人間同士で共感しあってるからこそ伝わるものがあると思います。
この部分だけは絶対にAIではダメ!
娘の先生が言っていたけど、子どもたちは行動じゃ伝わりにくいものに教師の「心の温度」をうっすら感じるみたいです。「ただ良いAIを使った」だけじゃ伝わらないんですよ。
教会での信仰の伴走やて、やっぱり人の声だから伝わるものが多いと思います。「感情的な瞬間や、神が動いているような独特の空気感」というかい。AIでは伝わらないんです。
AI時代の牧師としての前向きな対応とは?
技術は進んでいくものだから、使い方を理解して適切に使い分けたいと思います。AI教育も大事だけど、言葉だけで説明するより、自分の信念や価値観を持って丁寧に伝えるスタイルがいいと思うんです。
技術と心、このバランスの取り方、みなさんも一緒に考えてみませんか?
Source: Should Pastors Use AI for Church Ministry?, Answers In Genesis, 2025/09/12 10:00:00