
テレビで子どもの食事格差が特集されていた。統計が映るたび、妻が昨夜の野菜くずで作ったみそ汁の香りを思い出しました。保育園のお弁当箱を鞄に入れたまま帰宅する彼女の姿を見て気づいたのです。完璧を求められるこの時代に、彼女の『不完全な食事』こそが家族を支えているのだと。
食卓の向こうにある愛情の計算式
専門家は栄養素の割合を語るけれど、僕が目にしてきたのはもっと複雑な計算です。残り物の野菜で作り置きをする時のこだわり、苦手なピーマンを子どもが気付かない大きさに刻む手つき。
ランチを抜くことがあると知ってから、ぽつりと漏らした言葉が胸に刺さりました。「こどもには三食、きちんと」
先月、忙しい日に保育園から忘れられていたおにぎりを受け取った時、そのてのひらに子供の名前が丁寧に書かれていました。彼女の頭の中には、数値じゃ測れない大事な想いがちゃんとあるんです。
食材と気持ちの天秤
よく見かけますね、スーパーで値札を見比べる彼女の後ろ姿。有機野菜と普通の野菜の差額が電車賃になり、それが実家への帰省に変わると知っています。栄養バランスのガイドラインが、いつも現実の選択と折り合いをつけているのがわかるんです。
夕食の支度中、子どもの「これキライ!」への対応もまた別の天秤。無理強いと食事時間が嫌な記憶に、諦めれば栄養が偏る。葛藤する指先に、数字では測れない想いがにじんでいました。
心に届くおいしさの単位
ある雪の日、子どもが熱を出しました。冷蔵庫には卵とねぎだけ。それでも彼女は魔法のようにふわふわの卵粥を作り、ベッドで絵本を読みながら一口ずつ食べさせていました。
あの時の子どもが「おいしい」と笑った表情は、栄養士のデータには載っていない、心がポカポカする幸せです。
先週、保育園のママ友に「うちの子があなたの作ったおにぎりを珍しく全部食べた」と言われた時の、ちょっと誇らしげな彼女の顔。あの瞬間こそ、目に見えない栄養素が子どもの心に届いた証拠だと思うのです。
食育という名の贈り物
夕食の準備中、5歳の娘が台所に立っていました。「ママみたいに作りたい」と、小さな手でお米を研ぎ始める。隣でにんじんの皮をむく妻の手つきが、なぜかいつもより優しく見えました。
栄養バランス云々より先に、子どもが覚えていくことがある。にんじんを切る音、ごはんが炊ける香り、家族が笑いながら箸を伸ばす様子…。彼女が毎日繰り返していることが、子どもの記憶の奥にちゃんと残っているんです。
かぼちゃに隠した伝言
子どもの好き嫌い克服について妻が教えてくれた秘訣があります。ある日、嫌いなかぼちゃを小さく刻んで炊き込みごはんに混ぜてみたそう。子どもが気づかずに食べた瞬間、嬉しさより先に「ずるしちゃったけど、食べてくれたのをみて嬉しかったな~」と打ち明けてくれました。
栄養をとらせることと、正直であることの狭間で揺れる気持ち…。冷蔵庫に残ったかぼちゃを前に黙り込む妻の背中が、いつもより少し小さく見えたことがあります。
食卓という名の宝物
昨夜、たまたま皆で夕食の支度をしました。子どもはみそ汁の具を順番に入れ、僕はお米をといで、妻が最後に味見をした。その時に感じた幸せの気配は、どんな栄養素よりも家族を元気にしてくれるものだと思いました。
子どもの栄養について考えればきりがないけれど、一つだけ確かなことがあります。毎日の食卓で交わされる会話、偶然できた料理の味、思いがけず笑い合った瞬間…それら全部が子どもの心を育てる大切な栄養になってくれると信じています。
今晩も台所で何かを刻む妻の音色が聞こえます。野菜を切る音、炊飯器の湯気、子どもの「お腹すいた~」の声…それら全てが、我が家だけの特別な栄養レシピなんだと感じるこの頃です。
日本食育協会『食卓で育む子どもの心』(2024)