
子どもたちが寝静まった部屋で、ママがそっと絵本を片付ける姿を見ていて思うんだ。
昼間のあの「なんで?」の連続は、ママにとっては決して負担じゃないんだよね。むしろ、キラキラした目で質問してくるあの瞬間を、宝物のように受け止めているのが伝わってくる。
僕だって最初は「またか…」と思ったこともあった。でもママは違った。ママが子どもたちの「なんで?」に紡いでいく会話こそが、小さな科学者たちの思考の羽根を広げているんだと気づかせてくれたんだ。
「知りたい」のサインを見逃さないで
夕食の支度で忙しい時ほど襲ってくる「なんで空は青いの?」攻撃。僕なら「後でね」と言ってしまいそうな場面で、ママは包丁を置く音を立てる。
「いい質問だね!ママも昔考えたことあるよ」
たったそれだけで、子どもの顔がパッと輝くのを何度見たことか。大切なのは完璧な答えじゃなくて、その好奇心を認めることなんだね。
ママがよく使う「一緒に調べてみようか」のひと言が、子どもの中に生まれるのは「認められた」という安心感。次の「なんで?」を恐れずに口にできる土壌が、こうして育まれていくんだと気づかされたよ。
魔法の逆質問「君はどう思う?」
子どもたちが「どうして夜になるの?」と聞いてきた時、ママがさりげなく返す言葉が素敵だった。
「面白いね!○○ちゃんはどうしてだと思う?」
その瞬間、子どもは質問者から探検家に変わる。もぞもぞと考えながら発表する仮説のなんて愛らしいこと!
時には突拍子もない答えが返ってくることもある。でもママは絶対に「違うよ」とは言わない。「なるほど、そう考えるんだ」と一旦受け止めてから、一緒に図鑑を開く。
正解を教えるよりずっと大切なことがここにある。考える過程を楽しむこと、自分の考えに自信を持つこと。ママのその小さな習慣が、子どもたちの思考の根っこを丈夫にしているんだね。
日常生活が最高の実験室
雨の日に窓に浮かぶ水滴を見て「なんで丸いの?」と聞かれると、ママはすぐに台所から油を持ってくる。水と油を皿に垂らして見せながらの実験タイムの始まりだ。
「わあ!くっつかない!」
子どもの驚きの声とママの笑い声が重なる。難しい表面張力の話じゃなくて、まずは感動を共有するってことなんだね。
洗濯物を干しながらの風の話、スーパーでの野菜の色の話。ママは日常生活の全てを学びのタネに変える天才だ。僕はママから参考にさせてもらっているような気分だよ。
わからなかったっていいんだよ
「ママ、これどうして?」に答えられないことだってある。でもそんな時こそママの姿が輝いて見える。
「ママもわからないなあ。調べるの手伝ってくれる?」
目の前でスマホを開く姿は、決して弱さを見せているんじゃない。知らないことを恐れない背中を見せているんだ。
調べてもわからないことがあること。それでも考えることが大切なこと。
「パパも考えてみたんだけど…」と僕が提案する時、ママがにっこりと肯いてくれるあの笑顔を頼りに、僕も少しずつ子どもとの対話を楽しめるようになってきた。
「なんで?」が未来を開く鍵
子どもが眠った後のリビングで、ママがふと呟く。
「今日の『なんで?』すごく深かったよね」
そう言いながらメモを取るママの横顔を見て、全ての質問が育むものの大きさに気づかされる。
一つ一つの「なんで?」は、単なる質問じゃない。世界への小さな窓だ。
子どもたちが成長して、いつかママに「なんで?」と聞かなくなる日が来るかもしれない。でも大丈夫。ママが今日紡いでいる会話のひとつひとつが、彼らの中でずっと問い続ける力を育んでいるはずだから。
コップの水滴が教えてくれたこと
夕焼けの不思議がくれた会話
それら全てが子どもの中で
いつか大きな翼になる
ママが毎日、そっと背中に付けてあげている羽根なんだね
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