ふと気づけば、もうこんな時間。リビングにはまだ洗い終わっていない食器、洗濯物は干しっぱなし。でも、その隣で、あなたは何も言わないまま、ちょうど眠りについた子どもの枕をそっと直す。その背中に、そっと手を置くかどうか。躊躇（ちゅうちょ）しながら、この気持ちの名前を考えてみました。
夜の静けさは、二人だけの言葉を紡ぐ時間
子育ての一日が終わる時、最後の音は何か、考えてみたことがありますか。テレビの電源の音。消えたはずの子どもの部屋のスマホの通知音。
そして、気づかぬうちに始まっている台所の水音のリズム。十代の娘が、また明日の用意を忘れて部屋で泣く声が聞こえた。
言葉にしようか、迷う瞬間。その時、あなたは、黙ったまま、冷蔵庫から麦茶を取り出し、グラスを二つ置く。
電子音の響く現代社会を超えて、人間の営みは、この静かな動作で始まっていた。どれほどの時代の母親たちが、この水音の響きで、今日を乗り切るべきかを判断し、明日を覚悟していたのか。
こどもが寝静まったあと、あなたの指先の習性を、ふと観察しはじめて気づいたこと。それは、その指先の動きが、あなたの子どもの頃の、母親の記憶を再生しているのだということでした。
労いの言葉よりも、その気配の構図
先週の会議の帰り道、あなたは、会社へ向かう電車が遅れたことを知らせる。LINEで、『ただいま』。子どもの迎えは間に合うかという、秒読み。
誰も知らない、この時間の切なさを、どう表現すれば、意味が分かってもらえるか。この時、あなたが求めているのは、共感の言葉ではない。
それなら、黙って、私の横に座っているのを感じられる。
忙しい。この言葉を、私たちはあまりにも使う。しかし、その言葉を超えるところで、片付けきれない課題が山積みになっている。
この時に、あなたが、私の肩を、そっと、指でトントンと叩く。それは『言葉を超えた結び目』の瞬間でした。
その気配は、あなたの母親の代から、驚くほど、同じ動きを脈々として引き継いでいる。AIが、どれほど進化したところで、そのような、自分の手のひらを通してきた温もりの記憶をどう伝えるのか。
それは、私たちの世代が、伝えていくための、次のテーマかもしれません。
静寂（せいじゃく）が、私たちを結ぶ媒体
近所のスーパーで、偶然、若いママ友が、子どもを前に、泣き出しそうになっていた。あなたは、何も言わずに、その子のそばに近づき、おもむろに、その母親の手に持っていた重い荷物を少し受け取った。
その時の会話のないまま、誰も知らない、この街の、あるいは、この社会の『静寂による結び』が、私たちの間で、また一つ、つながりました。
その親子の片隅（はたすみ）で、私は、黙って、あなたを観察している。その時間、その瞬間、その手法は、学校で、職場で、教えられるものではない。
しかし、あなたの静かなる支えは、その場にいる人を、誰よりも、安心させることができる。それは、あなたの、深いところで、これまで、受け継いだ、ある種の感覚なのです。
そのような静かなる資質を、私たちは、どうやって次の世代に渡していくのか。
私たちが、この社会で、求めている、次の世代の技術は、きっと、このような、体感を伴う共感の形を、どう伝えていくかということなのだと感じています。
抱きしめなくても、伝わる温もり
人生の終盤、そして、子育てが終わろうとする時、私たちは、何を残すべきか。この問い、実は、テレビのネットニュースのコメント欄には、書き込まれることはない。
しかし、あなたの家では、毎晩、子どもたちが夢を、私たちは、明日の仕事を、そして、その先は、まだ誰も知らない。
その長い道のりを、私たちは、支え、支えられて、歩いていく。そして、その時の、静かな響きこそが、私たちを、支える、巨大な原動力です。
そのことを、私たちは、どう伝えるのか。この時代、どれだけの言葉を発信して、どれだけの、画面をスクロールしても、あなたの心の静寂を、私は、あなたの横で、感じるしかない。
ふと、気づくのです。それは、私たちが、この時代を作り、また、この文化の中で、私たちが、沈黙の力、言葉を、超えた隣人としての力を、信じている、という証しを。
この隣で、この静かなる響きを共有する。それが、私たちの、この子育ての山道の、道標です。
このまま、この時を、そのまま、感じて
もうすぐ、夜明け。この灯を、そろそろ消す。そうすれば、また、明日の、子どもたちが、学校に行く、朝の支度が始まる。
このサイクルは、終わりのない、終点のない、そして、私たちのこの時代の道標です。しかし、忘れないで、という言葉を、あなたは、言わない。
でも、私は、知っています。あなたのこの短い時間の、静かな響きの中に、私たちの世代と、未来への、そして、過去のすべての母たちの、願いと、そして、愛が、詰まっている。
この、この瞬間を、このまま、何も、言葉をかけずに、あの時間を、また、過ごしたい。今日も、また、この静寂が、くる。
この言葉を、超えた、静かなる響きを、私たちは、また、共有する。それこそが、私たちの、この世代の、子育ての、そして、人生の、道しるべになっている。
そのことを、今、この時に、この目で、あなたの、静かなる背中で、感じています。