夕食の片付けを終え、子供たちを寝かしつけた後の深夜。冷蔵庫の前で仕事の書類を片手に、お弁当の具材を考えながら気づきました。共働きの子育ては、ただ単純に役割を分担する話ではない。二人の仕事の時間を共有し、家事の温度を調整し、無言のうちに分かち合う心の支え合いこそが、大切なのだと。
「共に支える」の意味を再確認した日々
朝の準備は、まるで二人三脚のレースのようでした。子供が朝食を食べる間に、急いで仕事のメールをチェックし、保育園に送る支度を進める。
そんな時、ふと、手元を見つめます。片手でスマホの画面をスクロールしながら、もう片手で子供たちの服にボタンをかけている。
その瞬間に感じるのは、共働きの家庭の現実の重み。けれど、もっと大切なのは、その姿を見て、私が自然に感じていた『共に支え合う必然性』でした。
『共働きの子育ては、両立ができるかどうかではなく、共に立つ姿勢を維持できるかどうか』。そんな気づきを、毎朝の小さなやり取りが教えてくれた。
これが、SNSの完璧な育児ストーリではない、私たちのリアルな共育の形です。
フルタイムの両立に必要なのは『リラックスした会話』
私たちは、家事の負担を公平に分けるために、何度も話し合いました。でも、その中で、少し違うものを感じるようになりました。
完璧な分担を目指し、疲れ果てた夜の話し合い…。そんな時に、ある気づきがあったのです。
『共に働く、共に育む』という本当の意味は、『どちらかが負担を背負い込む』のではなく、『どちらもが疲れを分かち合い、支え合う』こと。
これは、いわゆる『家事分担の教科書』にはない、私たちの解釈でした。
だから、例えば、夕食の準備をにぎりながら、私が『今日は疲れたから、代わりにスープ作ってくれない?』とお願いする時。
返す『うん、私も作るの好きなんだからね』という言葉。その言葉の重みに、私たちは、夫婦としての新しい共育の形を築いていった。
役割の分担ではなく、気持ちを分かち合うことの大切さです。
子供たちの寝顔が教えてくれたこと
寝る前の時間、子供たちを寝かしつける時の姿を見て思うのです。それは、仕事の疲れを忘れないまま、目を閉じようとする子どもたちに、優しい声を響かせる存在。
その毎日、あの夜の光景の中に、『共働きの親が持つ特別な強み』があることを理解しました。
それは、仕事と家庭の間で、必死のバランスを取る。それが、私たちの子供たちに、多様な視点と生きる強さを、自然に教えているのだと感じます。
しかし、共働きの大変さを、学校や職場の外で、すべての話を共有するのは難しい。
それでも、子供たちの成長を見るたび、私たちは、夫婦で共に支え、共に働くことが、子どもたちの人生の基盤を作る。
そんな気づきが、私たちの日常に、少しずつ根を張っている。それは、私たちだけの小さな、しかし、とても大切なパートナーシップの形なのです。
二人の目指すべきは、共に支え合う『共育』の道
共働きの家庭が、夫婦だけでなく、社会全体で支えられるべき環境になったら、と想像してみてください。
それは、私たちが、それぞれの仕事のパフォーマンスを落とし、家事の負担を増やす話ではありません。
私たちが、共に働き、共に育つ中で、こどもの成長を見守り、互いの弱さを尊重し、支え合う。
そのような、新しい関係性の構築のための話をしています。
ふと、子供たちの寝顔を見ながら、今日の朝に戻った気持ちになります。
この小さな家族の生活には、私たちが考えている以上の、もっともっと多くの可能性が潜んでいる。
そして、共働きの家庭の未来は、私たちが、ジレンマの先に、見つけ出す新しいパートナーシップの形に。
まさに、その興味を抱き、共に進んでいく、私たちの夫婦の道のりだからです。
共に働き、共に育む。その道の先にあるもの
共働きの家庭は、夫婦それぞれが、自分の仕事と家庭の間で、葛藤と戦いをする。
その中で、私たちは、その葛藤自体を、共に経験し、乗り越えることで、より深いパートナーシップを築けることも知っています。
それは、私たちが、ただ、ただ、仕事を続けることよりも、子供の成長を二人で見守ることを優先したことの結果としての、私たちの絆。
このような、共働きの家庭の子育ての醍醐味は、私たちが、夫婦として、同じ目線で、同じ疲れを分かち合い、同じ喜びを共有できる。
そんな、小さな幸せの積み重ね。それは、共働きの家庭の日常だからこそ見つけることができる、私たちの宝物のような体験です。
これから、それぞれの仕事の場面や家庭での時間が、一層の輝きを放つことを願いながら、共に歩む道のりを、大切にしていく。
そんな決意を、改めて感じる、一日の終わりに、静かに、そんな想いが浮かびます。一緒に、進んでいきましょう。ね。
