
昨日の朝、リビングを駆け抜けるその姿を見ていたよ。お弁当箱を左手に、化粧ポーチを右手に、頬に挟んだスマホから保育園の先生の声が漏れている。テーブルの下でこぼれたヨーグルトを拭く手が、ふと止まった瞬間──早回しの映画のような日々の中に、静まる瞬間があることに気づいた朝の話をしようかな。
戦争ではなくダンスのように
春先に冷蔵庫に貼られていた『朝の持ち場分担表』、覚えている?三日しか続かなかったあのチャート。色とりどりのシールがはがれかかる中、ふと気づいたんだ。子供の髪を結いながらキッチンタイマーを見つめる横顔に、仕事での真剣な表情が重なる瞬間があることに。
分担表が消えた翌週、コートを着ながら『今日は私がゴミ捨ててくるね』と軽く言われた時、なぜかほっとした。完璧なシステムより、そのふとした気遣いが朝の荷物を軽くすることを、テーブルの下でこぼれたクレヨンを拭く手が教えてくれたような気がする。
5分間の革命
ある雨の月曜日、カバンから出てきたのは100均の砂時計だった。『朝の準備タイムレース』という名のゲームで、子供がパジャマを8分でサッと脱げた日のこと。『タイム更新!』と笑う声を聞きながら、洗面所で歯みがき粉の蓋を探す手が止まった。
三日後、砂時計の横に保育園の連絡帳が置かれていた。『今日はママより遅かった』と悔しがる子供の髪を梳かしながら、そっと砂時計を引き出しにしまった後姿が忘れられない。勝ち負けより、洗濯カゴに転がる砂時計こそが、私たちなりの進歩の証だと気づいた朝だった。
未完成の傑作
ある水曜日の夜、冷蔵庫に並んだキャラ弁の下準備を見た時、深夜のキッチンで黙っておにぎりを握り始めた。3時過ぎの暗がりでふらりと現れて『私の意図、ちゃんと伝わってる?』と笑う声。
完璧な朝食より、冷蔵庫のドアにぺたっとくっついた海苔の切り抜きこそが、私たち家族の本物の傑作
翌朝、お弁当箱を開けた子供が『ママのサルサダンスみたいな卵焼き!』と叫んだ瞬間、抑えきれない笑いがこぼれた。そう教えてくれた朝だった。
子育て遺産の継承
実家から届いた昭和のアルミ弁当箱が投げかける問い。冷蔵庫の前で『キャラクターより実用的なのを』とつぶやく隣で、ふと母のメモを広げていた。『米粒一つで愛情が伝わる』という昔の知恵と、リビングに散らばるキャラ弁グッズが静かな対話を始める。
先日、子供がその弁当箱を保育園に持っていき、『普通のご飯なのに美味しい』と言ったと聞いた時、そっと目頭を押さえる仕草を見逃さなかった。新しいものと古いものが出会う朝の風景が、私たちだけの育児遺産になっていく予感がしている。