
昨夜、リビングで子どもの絵本を読み終えた後のこと。そっと「最近、家族でスマホ見ない日ってあったっけ?」とつぶやく声が聞こえた。その言葉が胸に刺さった。気づけば、食卓でも通知音が鳴り、夕食の片付けをしながら仕事のメールを確認している。現代人は1日に何十回もスマホ触ってるって言われるよね。私たちの時間は、知らず知らずのうちに小さな四角い画面に吸い込まれているのかもしれない。
失われた『間』の時間〜子どもが見つめる先にあるもの〜
子どもが何かを発見した時、最初に見るのは私たちの目だということに気づいたのはいつだったろう。
公園で、子どもが初めて蟻の行列を見つけた時のこと。振り向いた先には、スマホの画面に目を落とした私の姿があった。
気づくまでに少し時間がかかってしまった。スマホを使っている時間と子どもの発話量についての話はよく聞くけれど、あの時子どもが少し俯いた表情が何よりの証拠だった。
通知音のない夕食〜作り出す『空白』の魔法〜
水曜日の夜といえば、ダイニングテーブルの中央に小さな小鉢を置く日だ。あの小鉢は『スマホ置き場』になる。
最初はぎこちなかったこの習慣も、いまや子どもたちが自発的に「今日はママの番!」と言い合うようになった。
この習慣で家族の会話が増えたという話を聞く。でも何よりの変化は、お味噌汁をよそう手を見つめながら、ふと「最近、髪切った?」と言えるあの瞬間なんだ。
デジタル・シェルター〜夜からの手づくり世界〜
子どもが寝る1時間前から、スマホも寝室に充電しに行く習慣を始めてみた。
初日、子どもが「パパ、今日はたくさんお話できたね」と笑った時の顔を、私はよく覚えている。
モニターの光ではなく、リビングの間接照明の中で見る横顔は、なぜか昔を思い出させる。画面越しではない、等身大の時間が紡ぐ記憶は、きっと子どもたちの心の貯金になる。
『ながら見』から『ともに見る』へ〜小さな観察者の誕生〜
洗い物をしながらも、子どもが話しかけると必ず手を止めて向き直る姿勢を見ていて気づいたのだ。
子どもが図鑑を持ってきた時、メール確認をしながら「うんうん」と相槌を打つと、「パパ、ちゃんと見てないや!」と言われた。
子どものその直観こそ、最高のアドバイスかもしれない。以来、何かを見せる時の子どもたちの目を見るようにしている。彼らの好奇心は、私たちの完全な没頭を求める──それは真剣さで。
re:connect〜デジタルを味方にする家族の知恵〜
デジタルデトックスとは、機械を否定することではなく、画面の向こうにいる人と手を取り合うことなのかもしれない。
テクノロジーを完全に遮断するのではなく、使い方を再発明しよう。土曜の朝は家族で動画を見ながらダンスをしたり、祖父母とビデオ通話で野菜の育て方を教わったり。
並んで料理アプリを見ながら新しいレシピに挑戦したら、子どもたちが「わぁ、パパとママが一緒にいて面白い!」と笑った。
電源オフの時間もオンも、家族の小さな手がつなぐ「今」という瞬間は変わらないのだから。